受動喫煙症の診断基準。2005年に日本禁煙学会と日本禁煙推進医師歯科医師連盟によって策定され、現在のものは「version2」。2016年、日本禁煙学会により改訂されています。

日本禁煙学会HPで見てみると、レベルが0から5に分けられ、レベル2までが無症候。レベル3から5にそれぞれの「症状・疾患」が並べられています。
けれど読んでみてもよく分かりません。
「めまい、吐き気、倦怠感」などはいいでしょう。しかしその後「気管支炎、狭心症、アトピー性皮膚炎、糖尿病」などと並びます。「糖尿病」は「糖尿病」でよい筈なのに、これが「受動喫煙症」とされています。
さらに驚いたことに、ここには「肺結核」までがあるのです。肺結核は結核菌を原因とする感染症です。これが「受動喫煙症の症状」とされている。
無理に論理を通すとこうなるのでしょう。
「受動喫煙の経験があれば、肺結核は受動喫煙症である(故に受動喫煙が原因だと言える)」
意味が分かりません。そこで僕ら悲しき一般人は「お医者さまの言うことだから、なにか深い意味が隠されてるに違いない」と考えてしまいがちです。実際、日本禁煙学会の作田学理事長もこう言いました。
「単純かつ明確な基準がみえるわけでなく、様々な症状要素を総合的に判断して受動喫煙症のレベルを認定することになるのです(甲81号症)」
けれどこれを言った作田医師の、実際の診察・診断を知れば、これが戯言だと分かってしまいます。

2019年7月17日、藤井敦子氏の知人である井坂氏(仮名)が日本赤十字社医療センターで作田医師の診察を受け、診断書を受け取りました。この時の診断書と、診察時の記録・録音が公開されているのです。

この前段として井坂氏は「ユニカファミリークリニック」の診察を受けます。日赤医療センターでの受診には紹介状が必要だからです。ここでMRIやCTなどの検査を受け、診断は「高血圧症」。
しかし日赤医療センターでの作田医師の診察は、これと違って問診のみでした。
高血圧症と診断された患者の血圧を測ることもなく、持参したCTやMRIのデータを確認することもない。診察中、作田医師からの医療的アドバイスは「焼酎もやめないとね」だけです。それで「受動喫煙症 レベルⅢ」の診断書が出されるのです。
また診察時に井坂氏は、職場の受動喫煙だけではなく、ユニクロなどの衣料品店でも同様の症状があることを説明しています。しかし診断書には「タバコの煙の無いところでは全く症状が起こらない」と書かれる。これは、嘘です。
日本禁煙学会理事長・作田学医師の受動喫煙症診断書は、患者の申告だけで、また時には患者の申告すら無視して、恣意的に書かれるものだと理解できるのです。

つまり僕たちは、日本禁煙学会による「受動喫煙症の診断基準」を難しく考える必要はない。ただそのままに読み取って、無意味なものを無意味と解釈すればいいのです。そして実際の診断は、問診による患者の自己申告以外になんら根拠がない。
実は旧基準では、レベル2、4、5に「コチニンを検出できる」との但し書きがありました。しかし現基準ではこれが削除されています。これを作田医師は「尿検査によるニコチン検出が、受動喫煙症のレベルの各段階に必ずしも対応しないことが、多くの実証データで明らかになった為」と説明しています(甲43号証)。

この言葉をそのままに受け取るならば、「受動喫煙症の各レベルを分ける客観的指標はない」となる筈ですが、作田医師はこれを「改善進歩」と言います。旧基準からコチニン検査を省いてしまうと、受動喫煙症の診断に客観的指標と呼べるものは皆無です。これが「改善進歩」であるならそれは「オレが受動喫煙症だって言ったらそれは受動喫煙症なんだ」と言えることが彼らの理想だったのだという意味になってしまう。

このような受動喫煙症診断について横浜地裁は、「客観的裏付けを欠いている」「政策目的によるものと認められる」と指摘しています。

これに対する日本禁煙学会からの反論は「受動喫煙症の診断においては、受動喫煙者の申告、すなわち詳細な問診が受動喫煙の客観指標測定に匹敵する意義を持つ」。松崎道幸医師による意見書(甲65号証)です。しかし彼がその根拠とする論文を読めば分かるのですが、これら論文は「受動喫煙症の診断において、問診が客観的指標測定に匹敵する」という内容ではないのです。高裁判決ではただ一言「一般論であり」と切り捨てられました。

ただ松崎医師からこのような反論があったことで、分かることがあります。
日本禁煙学会は、患者の申告さえあれば、これを客観指標測定に匹敵するものと見て「受動喫煙症」と診断することを正しいとしている。つまり作田医師ひとりがズボラだったのではない。あの診察・診断が、受動喫煙症の診断基準にのっとった正しいものである、ということです。

以上のことから僕は、作田医師のものだけでなく「受動喫煙症の診断」そのものが、医学的あるいは社会的な正当性を主張できるものではない、と考えます。