【黒薮氏による第77弾 ~「紙の爆弾」】http://www.kokusyo.jp/%e6%a8%aa%e6%b5%9c%e3%83%bb%e5%89%af%e6%b5%81%e7%85%99%e8%a3%81%e5%88%a4/15982/

 1月号より転載】煙草の副流煙で健康被害を受けたとして、団地に住む三人の住民が隣人を訴えた裁判の控訴審で、東京高裁は十月二十九日、一審原告らの控訴を棄却する判決を下した。原告らが上告しなかったため、「冤罪」を主張していた一審被告の藤井将登さんの勝訴が確定した。

 しかし、「終わりは始まり」である。

 原告に診断書を交付したり、五通もの意見書を裁判所に提出するなど、裁判に深く関わった日本禁煙学会理事長の作田学医師に対して、将登さんは、被告にされたことで受けた被害の賠償を求める「反訴」の準備に取り掛かった。

 将登さん個人に対する四五〇〇万円(控訴審は約二三〇〇万円)の請求は、常道を逸していた。高額請求に加え後述するように請求の根拠にも乏しかった。「反訴」は、訴権の濫用に対する警鐘である。今度は、禁煙外来の生みの親が、法廷に立たされることになったのである。

 これまで将登さんは本人訴訟で対処してきたが、「反訴」では弁護士を立てる。すでに弁護士も内定している。この裁判には原告を支援するために、著名な医師や科学者らが次々と関与した。そのうち中心的な役割を果たしたのが、作田医師ら日本禁煙学会の関係者だった。

◆証拠収集、ゴミ箱あさりを指示

事件の発端は、本誌(三月号)で既報したように、二〇一七年にさかのぼる。将登さんは、同じマンションの斜め上階に住むA家から、藤井家からもれる副流煙が原因で、自分たちは受動喫煙症(広義の化学物質過敏症)などに罹患(りかん)したとする苦情を持ち込まれた。将登さんの煙草の副流煙が、自宅内まで入ってくるというのだった。それを理由にA家は、将登さんに禁煙を求めてきたのである。

 しかし将登さんは、喫煙者ではあるが、ヘビースモーカーではなかった。自宅で吸う煙草の量は、一日に数本程度。しかも、喫煙する場所は主として、防音装置が施された密封状態の音楽室だった。高性能なフィルターが付いた空気清浄機も使っていた。それにミュージシャンという仕事柄、ツアーによる外泊もふくめ外出することが多いので、副流煙の発生源そのものが、常時存在したわけではなかった。

 一方、A家も副流煙の侵入を防ぐために、窓をビニールで覆うなどの対策を取っていた。風も、年間を通じて、藤井さん宅からAさん宅の方向へ吹くことは少ない。そのことは、気象庁の風向データでも裏付けられ、裁判所もそれを事実認定した。

 従って、たとえ微量の副流煙が、藤井家から屋外へ漏れることがあったとしても、それがAさん宅へ流入する可能性はほとんどなかった。しかし、A家は、将登さんの煙草が受動喫煙症などになった原因だと執拗に主張したのである。室内の壁が変色したのも、将登さんの副流煙が原因だと主張した。鉢植えの植物が枯れたのも、将登さんに責任があると主張したのである。

 ところが裁判の中で、原告のひとりであるA夫(仮名)に約二十五年の喫煙歴があったことが分かったのだ。しかし、作田医師は喫煙歴と受動喫煙症とはあまり関係がないと意見書で弁解した。あくまでも将登さんの喫煙に固執し続けたのである。

 A家が、このような訴訟を起こすことが可能になったのは、日本禁煙学会の関係者の協力があったからにほかならない。

 日本禁煙学会は、裁判への組織的関与を否定しているが、同協会の複数の関係者とA家に接点があったことは紛れのない事実である。

 A夫は、提訴に先だって日本禁煙学会の理事で東京都議(都民ファースト)の岡本光樹弁護士に副流煙による被害を相談した。A夫が証拠として裁判所へ提出した自身の日誌によると、岡本弁護士は、一七年二月十四日に横浜市のすすき野第二団地にあるA家を訪問した。室内で煙草臭の測定などをおこなった後、岡本弁護士はA夫にある提案をした。藤井家を訪問して吸っているタバコの銘柄を変えたのか聞こうというのだ。

 A夫は、「行っても動じないと思う」と岡本弁護士を制した。そこで岡本弁護士は、「護美箱(ママ)からタバコの吸いがらを探し出して証拠を掴むしかない」とアドバイスした。

 この点について筆者は、岡本弁護士に事実関係を問い合わせた。岡本弁護士は、「ご指摘の内容は、事実です」とメールで回答した。

 ちなみに原告は、岡本弁護士が執筆した「住宅におけるタバコ煙害問題」と題する論文を、証拠として裁判所に提出している。しかし、岡本弁護士は、この裁判の代理人には就任しなかった。

 A家の代理人を引き受けたのは、山田義雄弁護士と息子の山田雄太弁護士だった。山田弁護士親子は、提訴の有力な根拠のひとつとして、日本禁煙学会の作田理事長が交付した原告三人の診断書を提出した。これらの診断書には受動喫煙症、あるいは化学物質過敏症などの病名が記されている。その原因を、「団地の1階からのタバコ煙」と特定している。さらに発生源の人物を、「団地の1階」に住んでいる「ミュージシャン」と事実摘示している。

 しかし、副流煙の発生源が将登さんとは限らないことは、前出のA夫の日誌を検証すれば容易に明らかになる。この日誌を隅々まで注意深く読むと、皮肉にも「将登さん犯人説」を否定する記述の存在が明らかになる。将登さんが自宅に不在であるにもかかわらず煙草の臭いがすると、A夫は繰り返し記録していたのだ。

 「将登の車、2時頃から夜9時現在なし。しかし、花の香り、お香の様なタバコの煙入ってくる。将登がいないのに」(平成30年6月23日)

 「午後1時過ぎ、将登の車なし、(入浴)夕方将登車なし、しかし、タバコ臭、充満。風、西から東へ吹いている」(平成30年9月2日)

 「朝から将登の車なし。おそらく昨日から帰っていない様だ。18:55、車なし。しかし、花の香りのタバコ ベランダに充満、部屋にも入ってくる」(平成30年9月8日)

 「4:30ウォーキング 帰り、将登車なし、しかし、タバコの臭い、家の中に入ってくる。藤井家、将登がいないのに、敦子か、お嬢さんか?」

 これら以外にも、同類の記述が延べ三十四カ所もある。それにもかかわらず作田医師は、診断書の中で副流煙の発生源は、一階に住んでいるミュージシャンであると断定したのである。背景に、芸能人に対する偏見があるのかも知れない。

 ちなみに、原告と被告の双方が住むマンションの近くには、自然発生的にできた喫煙場がある。そこには大量の煙草の吸殻が散らかっていた。(現在は清掃されている。)

 団地に隣接してバス停もあり、バスが一時停止するたびに、アイドリングにより排気ガスの量も増える。Aさん一家が、日常生活の中で多様な化学物質に接していたことも、原告の陳述書から読み取れる。病因となる化学物質の発生源は、無数にあるのだ。

◆作田医師、原告を診察することなく診断書を交付

 三人の原告の中で最も症状が重いのは、A家の娘(以下、A娘)だった。原告の主張によると、A娘は寝たきりである。基礎疾患として一〇年来の乳癌がある。しかし、これらの事実を度外視して、原告らは将登さんの副流煙が原因で、A娘が体調を崩し寝たきりになったと主張し続けたのだった。

 この裁判で大きな争点のひとつになったのが、作田理事長が作成したA娘の診断書だった。それは将登さんによる「反訴」の有力な根拠である。

 作田医師は、A娘を直接診察することなく診断書を交付したのである。皮肉なことに、この事実に最初に言及したのは、原告の山田弁護士親子だった。二人は準備書面の中で、A娘の診断書作成のプロセスを記述したのであるが、そこからは作田医師がA娘を直接診察していない事実が読み取れる。A娘は体調不良で外出できないので、作田医師がA娘の母親から聞き取りを行ったうえで、後述する他の医師による診断書などを参考にして、診断書を交付したのである。

 しかし、患者を直接診察せずに診断書を交付する行為は、医師法二〇条で禁止されている。診断書が患者の人権にかかわる証明書の類であるからだ。事実、第一審の横浜地裁は、この点を重くみて、作田医師の行為を「医師法二〇条に違反する」と断罪したのだ。

 作田医師は、判決後にA娘を往診した。しかし、あとの祭りで、東京高裁も、作田医師が作成したA娘の診断書は、診断書として認めることはできないと判断したのである。ただし、医師法二〇条違反についての判断は避けた。

 原告らは、作田医師の診断書とは別に、二人の医師が交付した診断書も、原告が受けた被害の証拠として提出した。倉田文秋医師による診断書である。もう一通は、宮田幹夫・北里大学名誉教授による診断書である。

 しかし、東京高裁は、これらの診断書についても、根拠がないと判断した。まず、倉田医師の診断書については、日本禁煙学会が定めた受動喫煙症の診断基準そのものの不備を指摘した。日本禁煙学会の診断基準は、「受動喫煙自体についての客観的な裏付けがなくとも(患者による症状の申告で)診断が可能」(高裁判決)とするものである。つまり患者による症状の自己申告を重視しているのだ。

 しかし、東京高裁は、「そこから受動喫煙の原因(本件では、被控訴人宅からの副流煙の流入)までもが、直ちに推認されるものとまではいい難い」と判断したのである。

 宮田医師(注:A娘だけを診断)が交付した診断書については、「化学物質過敏症については、様々な原因物質が考えられ、その発生機序について統一された見解が得られておらず未解明である上、宮田医師が控訴人A娘に対して行った各種検査は、化学物質過敏症の原因物質の特定と直接結びつくものではない」と認定した。

 つまり東京高裁は、三人の医師が作成した三通の診断書を、いずれも証拠とはなり得ないと判断したのである。ちなみに宮田医師と倉田医師も、作田医師と同様に繰り返し意見書も提出している。三医師の協力ぶりは尋常ではなかった。

 さらに、大川正芳一級建築士、松原幹生技師、日本禁煙学会理事の松崎道幸医師も意見書を提出した。しかし、裁判所はこれらの意見書も重視しなかったのである。

 このように原告らは、著名な医師や科学者を次々と動員して、総出で将登さんを攻撃し続けたのである。それにもかかわらず、本人訴訟で対抗した将登さんに完敗したのだ。提訴そのものにかなり無理があったからだ。

 ◆作田医師が提訴を予見できた可能性

 将登さんがこれから起こす裁判では、作田医師が第一審で問題になったA娘の診断書を作成した段階で、裁判が提起される可能性を予見していたか否かが争点になりそうだ。提訴目的で医師法二〇条違反を犯してまで、A娘の診断書を作成したかどうかが検証される。

 作田医師がA娘の診断書を交付する前段には、次のような経緯がある。一六年十月三十一日に、A娘は倉田医師の外来を受診した。その際、問診票に、診断書の交付を希望する旨を記したが、倉田医師は、診断書を交付しなかった。しかし、「訴訟にまで進まないと問題解決できない可能性が推測」されたので、「診断書が必要な段階になれば作成します」(倉田医師の意見書)と助言した。

 そして約五カ月後、倉田医師は実際にA娘の診断書を交付したのである。こうして作成された診断書を携えて、A夫の妻が作田医師の外来を訪れ、面談を受けた後、無診察によるA娘の診断書を入手したのである。それが裁判所に提出され、高額請求の根拠になった。

 ちなみに、日本禁煙学会の「受動喫煙にお困りなら、こうしましょう」と題する受動喫煙対策マニュアルには、「最終的には裁判になるでしょう」と提訴をあおりかねない記述もある。

 医師は、診断書を交付する際には患者に対して必ず使用目的を確認する。つまり、作田医師は、自分が医師法二〇条違反を犯して作成した診断書が、裁判に悪用される可能性を予見できた可能性が高い。弁護士も提訴を思いとどまるように指導すべきだったのだ。

 今後、法廷で関係者の責任が検証されることになる。

黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)フリーランスライター、ウェブサイト「MEDIA KOKUSHO」主宰。著書に『名医の追放』(緑風出版)などがある。