刑事告訴にあたっての青葉署とのやりとり

現在私は刑事告発に伴い、青葉署の刑事らとやりとりを行っているが、事件が起こった当時の「山本哲治署長」も「望月勇人刑事」も異動となってしまったため、なかなか当時の内容が今の刑事たちに伝わりにくい。当然、藤井家に対する2度の出動も、斎藤実からの裏の指示であったため記録も正確に残っていないようなのだ。

やりとりをしている伊藤刑事は「山田弁護士が勝手に言っているだけではないか」とうそぶくあり様だ。自分たちが藤井家に対して何を行ったかが本当の意味で理解できれば、当事者に向かって言える台詞ではない。責任回避も甚だしく、望月刑事の反省も水の泡だ。市民を守るべき警察のトップである斎藤実が、タバコのために職権を濫用し、市民に襲い掛かったのである。そもそも青葉署は、斎藤実のくだらない指示に対しNOを突き付けるべきだったのだ。それをしなかったせいで、こんなことになっている。自らの行動の反省をしない青葉署のあり方は、またこのようなことが繰り返される可能性を示唆している。⇒4月12日追記:伊藤刑事は、山本哲治署長が「A家の代理人と直接やりとりをしたこと」に対し、あってはならない行動だと言う。その点を確かめるため、本日伊藤刑事が当時の責任担当であった望月刑事に連絡を行ったところ、望月氏から「山本署長がとった行動は事実であること」を確認したとのこと。

ついては、青葉署および今後担当するいかなる警察に対しても無責任な発言をさせないためにも、斎藤実の関与に関する資料(該当箇所)を一つの記事にまとめることにする。

またこの件につき青葉署に対し情報開示請求を行うこととする。

これを見る限り、「陳情」から「藤井家を調べ」への流れは時系列的に完全に一致している。伊藤刑事は「法的に、正式に認められたルートで手順を踏みながら警察は動くものだ」と言う。確かにそうだろう。だが、今回のケースは「そうではないから問題になっている」のだ。公式で合法であれば、全ての経過記録は神奈川県警と青葉署に残っているはずだ。記録については後日、情報開示請求を行うこととするが、記録があってもなくても問題となることは間違いない。

斎藤実への陳情から、現場刑事が藤井家を訪れるまでの流れ

1回目の陳情【平成29年(2017年)8月11日、斎藤実氏が神奈川県警察本部長に就任】

⇒【その2日後の8月13日、A妻はたまたま新聞で見た神奈川県警察本部長に就任したばかりの斎藤実氏の写真を見て、手紙を書いた】

⇒【8月25日、4名の刑事らが藤井家を調べに来る】

2回目の陳情同年12月21日、A妻に頼まれ、原告代理人の山田弁護士が斎藤実に陳情する】

⇒【その4日後の12月25日、青葉署署長・山本哲治氏が山田弁護士に連絡。「本日斎藤実氏より連絡があったので近く対応したい。傷害罪が成立するかも」とおべんちゃらを言う。

⇒その2日後の12月27日、2名の刑事らが藤井家を再度、調べに来る。

当然「名もない市民が書いたお手紙」だけで県警本部長が指示を出すわけもない。何らかの強力な人脈が背後で動いている。こんな事で警察が動くのであれば被害届や告訴状の制度など、やめてしまえばいい。

新しい資料の公開

斎藤実の関与については、これまで甲16号証と甲17号証しか公開してこなかったが、今回それらに加え、斎藤実の関与を示す下記の資料を公開する。

ア、原告準備書面(1)

準備書面(1)とは、この裁判の冒頭に出される書面である。これは「自分たちは県警本部長を動かすほどの力がある」ことを誇示し、そのことにより裁判を自分たちに有利なほうに導こうとする、司法に対する恫喝行為である。

イ、A妻の陳述書(甲33号証)

ウ、藤井敦子による当時の記録(刑事らが来た時の様子や、その後のやりとりの詳細)

原告準備書面(1)9ページより(山田義雄弁護士、山田雄太弁護士)

原告準備書面(1)平成30年2月16日

弁護士 山田義雄 山田雄太

(8ページ、下から11行目)

第3 被告の主張(警察への働きかけ)

(藤井注:「被告」は「原告」の間違い。また1~4までは、A家が青葉警察署に複数回相談するも、動いてもらえなかった様子が記載されている。)

(9ページ、下から7行目)

5、(中略)原告A妻は、たまりかねて、たまたま新聞で見た神奈川県警察本部長に就任したばかりの斎藤実氏の写真を見て、それこそ、藁をもすがる思いで、平成29年8月13日付で、直訴の手紙を出した。

 その結果、平成29年8月25日に、刑事課係長外2名と生活相談室1名の、合計4名が、原告方を訪問し、原告らの説明を十分に聞いたうえで、被告方を訪れ面談してくれたのである。

 警察は中立の立場で双方の自宅を訪れ、話を聞いてくれている。

(10ページ頭)

その警察の話によれば、「藤井さんは平成28年9月6日以来、しばらくは自宅での喫煙は止めたが、その後復活した。しかし、軽い外国製のタバコに変えている。」と言っているとのこと。しかし、原告らにとっては、タバコを止めたとか、軽い外国製タバコにしたとのことは、全く信じ難い内容の説明であった。

6、原告らは、警察が被告宅へ行ってくれたことにより、被告の喫煙は控えてくれるのではないかと期待した。その為、A娘の強い希望で平成29年9月15日に、原告らは、自宅に戻った。しかし、被告ら(藤井注:被告「ら」とは藤井将登以外の家族(非喫煙者)のこと。)は一向に喫煙を止めることはなく、原告らは苦しい状況に耐え続けることになった。

7、その為、原告A妻の強い希望で、今度は、原告代理人からのお願いをして欲しいとのことから、平成29年12月21日付で斎藤実神奈川県警本部長宛の「お願い(要請書)(甲16)」を出した。

 その結果、平成29年12月27日に再び青葉警察署から、刑事課及び住民相談室の合計2名の警察官が、原告宅を訪れ、且つその後、藤井宅と隣家のF宅を訪問して話をしている。

被害届も告訴状も出さず、斎藤実への陳情で一方的に警察に動いてもらったことを「中立」と呼べる神経自体が異常である。タバコだけのことで「これだけのことをされたら」と想像してみてほしい。隣家へも刑事が赴いたことを知った時は、さすがにショックであった。近隣とのあいだにも溝ができた。

A妻による陳述書・甲33号証より

A妻による陳述書(甲33号証)平成30年9月15日

(6ページ、下から13行目)

6、警察署や行政に何故相談してきたか。

何故、県警本部長にまで手紙を書いたのかについて説明します

(1)(中略)平成28年12月31日の大晦日の日に、青葉警察署に、必死で、助けを求めて、相談に行ったのですが(三度目)、何もしてもらえませんでした。

(7ページ、下から5行目)

(2)(中略)藤井家の皆さんに喫煙を控えてもらう為に、一年間、藤井家との話し合いを始め、管理組合、行政、警察署等、ありとあらゆる機関に、相談をしましたが、どの機関も、誰一人、助けてもらえず、万策尽きましたので、最後の望みを託し、平成29年8月13日、当時の神奈川県警トップの斎藤実本部長宛に、お手紙を出し、直訴したのです。

(8ページ頭)

帰宅に際し、何とか安心して、家族が療養出来る様に、警察の事情聴取、調査をお願いし、相手方に、適切な措置を講じて頂きたいと、お願い致しました。

斎藤実県警本部長の御配慮からか、平成29年8月25日、青葉警察署員4名が、藤井宅を訪問してくれました。

甲16号証および甲17号証

これらの書面には原告および山田義雄弁護士が、斎藤実神奈川県警本部長に宛てて行った陳情の様子が記されている。甲17号証2ページから抜粋しよう。

↓ ↓ ↓

(1)平成29年(2017年)12月21日付の当職の書面 (藤井注:当職とは山田弁護士のこと。この日に山田弁護士から斎藤実氏宛に陳情の書面を出したのだ。)

(2)同年12月25日、当職(注:山田弁護士)宛に青葉警察署署長山本(哲治)殿より、電話があり、「斎藤(実)県警本部長からの指示があったので、近く対応したい。ご本人(注:A妻のこと)に直接連絡してもよいか」との内容の打診であった。そして、当職が電話で若干の補足説明をしたところ、署長は「場合によれば傷害罪になり得るかもしれない」旨の発言をいただき、当職はその旨を依頼人(A妻)に伝える。

(3)同年12月27日、A妻から当職宛に電話が入り、「青葉警察署から今電話が入り、『これから伺います』とのこと。どう対応したらよいか」とのことであり、以下略

藤井敦子による当時の記録(刑事らが来た時の様子や、その後のやりとりの詳細)

【平成29年8月25日  刑事ら4名が突然やって来る

平成29年(2017年)8月25日(金)3時、英語レッスン中ベルが鳴り、開けたら4名の警察職員がいた。扉を少しだけ開けるとその隙間から警察手帳を広げて見せた。驚愕した。我が家の目の前はバスから降りた人たちが多く通る道だから目立っては困るので、大声を出さないまま、息だけで怒鳴った。「中に入って!サッサと!喋らないで!!」彼らも予測していた対応と異なったせいか、すごすごと部屋の中に入ってきた。

「全員、首にかけてるやつを外してテーブルの上に置いて!」と怒鳴った。「話さないで。まずはこちらがあなた方が誰なのかを確かめる!」

彼らの内訳は以下の通り。太田松枝氏、望月勇人刑事、中山淳刑事、浅川将也刑事。

そして、私は次のように告げた。「何のことかはわかっている。A家のタバコのことでしょ。話は何?」

すると一番の責任者のように見えた最も眼光の鋭い刑事が、「A家が何度も警察に来てタバコの煙のことを訴えているが、藤井さんが警察に来られないので、片方の訴えしか聞いておらず情報が偏っている。よって直接話を聞きに来た」とのこと。これが望月勇人刑事。この事件の現場責任者である。

私はパソコンを開け、これまでとっていた「経緯の記録」に基づいて話をした。A妻と思われる人物からの怪文書や、山田弁護士から出された内容証明も見せた。話の途中、同じ団地のT氏をはさんで平成28年9月22日に行った「両家の話し合い」の録音データがある旨を伝え、『録音しかないが、テープ起こしは必要があるか』と聞くと、『テープ起こししたものを、後日青葉警察まで持参して下さい。』と言われた。

約1時間にわたる説明を終えた後、『藤井将登氏が喫煙を行う部屋の写真を撮りたい。』と言われ許可をした。太田氏以外の3名の刑事が夫に導かれ、防音室で写真をとっているあいだ、リビングには太田氏のみが残った。2人きりになった瞬間『うちにも(A家が)相当何度もおみえになってるんですよ』と言い、困っているように笑った。防音室から出て来ると望月刑事がこう言った。『事情はよくわかりました。これから先あるとすれば、裁判でしょう。警察は介入しません。本件についてはもう2度と来ません。』 

それに対し、敦子が『テープ起こし持参の件はどうしますか。』と聞くと、『もう状況はわかりましたので必要ありません。』と望月刑事は言った。

この時は、初めての英語の生徒が来ていた。たまたま知り合いの人だったからやめられることはなかったが、ノーアポで仕事中に警察が来るなど営業妨害も甚だしい。

【平成29年12月27日  刑事ら2名がまたもややって来る】

上記の刑事の訪問から3か月あまりが過ぎた12月5日、A家からの訴状が届いた。最初相談していた弁護士から660万円かかると言われ、別の弁護士を探した。30万円で引き受けてもらうことが出来た。12月26日、無事に答弁書の作成が終了し、やっとお正月の準備にとりかかれるとホッとして、この年最後の英語の授業を行っていた。が、またもや突然ノーアポで刑事がやって来たのだ。刑事の滞在時間は午後5:20~6:00。この時のことを英語の生徒であるマジシャンの秋元正氏は、陳述書で下記のように語っている。

 玄関先で、「なぜ来たのですか。もう弁護士をつけて民事裁判が進んでいます」と答えたが、玄関先でやりとりを行いたくないので部屋の中に入れた。生徒の秋元さんがいる目の前である。「やっぱり臭わないなー」と言いながら刑事らは入って来た。まずは名前を確認した。刑事課の浅川将也氏で「夏の時にも来た」という。もう1名は住民相談係の佐藤隆之氏。「何をしに来たのか」を問うと、「隣接しているお宅等に実際にタバコの臭いがするのかどうか聞きまわりたい。その際『藤井さんのところの話』だとわかってしまうがよいか」と聞かれた。「うちは吸っていないので、聞いてくれても構わない。」と答えた。「厚生労働省から臭い検査機を借りて調べる」と佐藤氏が言った。「それもありがたい」と伝えた。「調べれば結果、藤井さんに協力することになる」と浅川刑事に言われた。

 2人は換気扇を眺め、「旦那さんは部屋でも吸うのか」と聞かれたので、「あなた方はA家の話ばかり聞いているから換気扇と思っているが、夫は防音室で吸っているのだ」と答え、防音室に連れて行った(この日は夫は不在であった)。浅川刑事は「タバコの臭いがする」と言ったが、佐藤氏は「よくわからない」と言った。佐藤氏は何度も臭いをかいで、そう言われれば、、、というぐらいであった。部屋に入り、防音室内部の様子、ベランダへは二重窓になっていること、空気清浄機の置いてある場所等を示し、「夫はいつもこの部屋にいるから他の部屋ではほとんど吸わない」と説明した。机の上に置いてあったコルツのたばこを、浅川刑事に「これだ」と言って渡した。浅川刑事がすぐにコルツの写真を撮ろうとしたため慌てて止めた。「許可なく写真を撮ることは許されない。また何だかんだとうちのせいにする証拠に使われる」と私が怒ると、「絶対に悪いようにはしない」と言いそのまま写真をとった。

【次の日、平成29年12月28日  浅川刑事とのやりとり】

翌日朝、私は浅川刑事に電話をし、「昨日は『近隣の聞きまわってくれて構わない』と了承したが、まずは弁護士の了解を得てからにしたいので待ってくれ」と伝えた。

弁護士に電話すると「そもそも警察が『藤井家ついて他の家に聞きまわりたい』などと許可を求めて来ること自体がおかしいし、こちらが許可するのもおかしい。民事不介入の原則が成り立っていない。放っておけ。また近隣から聞かれたら『裁判になっている』とのみ伝えた方がいい。話せば言いたくなるから。以上が私の意見であとは自分の好きにしなさい。」と言って電話を切られた。が、そうは言っても、現に刑事たちはうちに来ているわけで、無視するわけにはいかない。

浅川刑事に連絡し、その旨を伝えたが、昨日の柔和な態度とは打って変わり、『近隣での聞き込みはとにかく行う』との一点張りで、ガンと譲らなくなった。私は「昨日は『藤井さんに協力することになる』という言い方であったのに、全く話が違うではないか」と刑事を責めた。

近所を「タバコの臭いがするかどうか」聞きまわり調べた結果、当然シロに答えはないにしても、私に教えてもらえるのかを浅川刑事に確認した。すると、「Aさん(原告家族)には調べた結果を伝えるが、藤井さんには伝えない」と言われた。これには困惑した。意味がわからなかった。

「我が家のことで調べるだけ調べられて、結果を教えてもらえないのでは、近所で噂が広まるだけではないか。」と不安になった。

「刑事課という名前で聞き込みをされると、『刑事』という言葉の響きが一般人には強烈過ぎるので、噂に火がついてしまう。なので、浅川刑事が後ろでとりまとめてくれていて構わないから、実際に近隣を聞きまわるのは『生活安全課、婦人警官、交番のお巡りさん』にしてもらえないか」と懇願した。が、「事件は刑事課に来ているので、それは出来ない。」と言われた。

「なぜ、タバコごときで傷害罪になるのか」と聞くと、「化学物質過敏症というのには、傷害罪という発想があるようだ」と告げられた。浅川刑事もあまり確信がないだった。

すでに「藤井敦子さんのタバコのせいで、娘が歩けなくなっている」とA妻に吹聴されており、さらに刑事に近隣で聞き込みをされ、噂が酷くなることだけはどうしても避けたかった。まさかの4500万円の提訴から、やっとこさ弁護士を見つけ、12月26日にやっと答弁書も完成したのに、なぜまた今度は民事でなく刑事で「こんな事態」になっているのか意味がわからずパニックに陥っていた。私事ではあるが、この日はおせちの買い出しにも行かねばならず、お正月には義母らの前では心配をかけないように何事もないように明るく振る舞わなければないというプレッシャーもあった。また、最悪なタイミングで「息子が結婚相手を連れて来る」というのもあった。この事態の酷さと普通に振る舞わねばならないというお正月の状況の差が苦しくてたまらなかった。あまりの展開に浅川刑事に「なぜ今日でなければならないのか。年明けまで待てないのか」と泣きながら懇願した。

浅川刑事は「今でなければならない」と言い、ガンと譲らなかった。

急遽、現支援の会の副会長でもある酒井氏に相談し、一緒に警察に行ってくれることになった。現場では昨日我が家に来た浅川刑事と佐藤氏が待っており、すぐに個室に通された。

(酒井氏)『これは事件になっているのか。』

(佐藤氏)『まだ事件ではない。事件になるかどうかを調べる段階である』

(酒井氏)『藤井さんとは地域活動で一緒で、タバコの問題は聞いている。今回の件は12月28日の年末差し迫った時にしなければならないほど重要なことなのか。もっと重要な案件があるだろ。』

(佐藤氏)『確かに年末の忙しい時期に行うようなことではなかったと思う。』

(浅川刑事)『案件に重要・重要でないの優劣はない。いつ訪問するかはこちらが決めること』

(酒井氏)『アポイントをとらずに仕事の最中に訪れるのはおかしい。』

(浅川刑事・佐藤氏)『それについては謝罪する。』

(酒井氏)『誰に頼まれてやってるんだ?創価学会か。』

(浅川刑事)『Aさん(原告名)です。』

(藤井敦子)『どれだけAさんが偉いというのか。Aさんの言うことばかりを聞いて。A

さんにどんな権力があるの?一般人でも手紙を書けばその言い分だけを信じて警察は動くのか!創価学会だからか?」

(浅川刑事)『Aさんです。』

(藤井敦子)『年末にノーアポで来るのは非常識。民事裁判が始まっているのだから、しばらく様子を見守ってほしい。』

(佐藤氏)『はい。』

(浅川刑事)『いつ調べるかはこちらが決めること。しかしながら要望は聞いておく。』

 その他、浅川刑事からは『警察は嘘をつかない』『先日訪問した際、藤井さんが弁護士に頼んだ旨を聞き実はホッとした』との発言もあった。

 私が一人で懇願しても何も聞いてもらえないが、浅川刑事は酒井氏に対しては『今日はお話できてよかったです』とおべんちゃらを使い態度を豹変させた。今後、警戒してかからねば、女だからと足元を見られると思った。

【平成29年12月29日  浅川刑事とのやりとり】

 その翌日、浅川刑事に電話をした。

(藤井敦子)『浅川刑事はA氏と相当話をしているようであるが、ここ数日の私とのやりとりについては、一切A氏に伝えないで欲しい。夏に私たちが刑事に話した中身が、勝手にA家に伝えられ訴状に書かれている。一方的にA氏に話を伝えるのはやめてほしい。』

(浅川刑事)『決して伝えない。』

(藤井敦子)『これまで私は(民事・刑事という意味においての)”刑事”ということを全く理解していなかったが、あのあと色々と調べて多少は理解をした。こんな年末ギリギリになって警察が動くというのは、もしかしたらA家は【告訴状】を出しているのか?あなたが答えられないのは承知した上で聞くが。』

(浅川刑事は答えない)

(藤井敦子)『あなたがたは近隣を調べた結果を私には伝えないが、A氏には報告するという。では聞くが、ここ数日私とあなた(浅川刑事)はこれほどやりとりをしており、あなたもうちの事情をだいぶ理解していくれるようになっている。が、これらのやりとりの情報も、正式にどこかに記録されているのか。』

(浅川刑事)『されていない。』

(藤井敦子)『ということは、もし私がA氏の一連の行為をストーカー被害で警察に伝えるとすると、その際は一からやり直しをするのか。』

(浅川刑事)『そうなる。』

(藤井敦子)『その場合、どの課が対応するのか?』

(浅川刑事)『ストーカー・嫌がらせ被害は生活安全課なので、もし話に来るなら私から長に伝えておく。しかしながら、A氏は精神的な病気の可能性があるので警察もやりたがらないのが実情。なので保健関係をあたってみるといい。また、12月27日、藤井家を訪れた際に、A氏の家に行った直後だったので、「もしかして在宅かな」とピンポンを押してしまったが、大変失礼であった。再度謝罪する。この件はそこまでしゃかりきになってやる案件ではない。

【平成30年1月18日  青葉警察訪問】

上記の浅川刑事のアドバイスを受け、年明けからは横浜市会議員藤崎浩太郎氏の力を借りながら、福祉保健関係や民生委員との連携についての準備態勢を組んでいった。

そして1月18日、下記のメンバーにて浅川刑事を訪問した。この頃には近所での聞き込みについても「やってもらおう」という気持ちに変化していた。浅川氏に宛てた文書では、その心境の変化について語り、前言を撤回し、進んで聞き込みを行っていただいて構わない旨を述べている。

 青葉署訪問:午前10:30より

 出席者:浅川刑事・住民相談係おざわ氏・横浜市会議員藤崎浩太郎氏・酒井久男氏・藤井敦子

 浅川刑事らが年末提案をしていた臭い検査機について、「厚生労働省から借りれると思っていたが、企業への貸し出しが優先なのですぐには借りられない」と告げられた。よって、私の方で協力を申し出た。その他にも借りれるような機種があるかを調べて浅川刑事に伝えることとなった。

【1月末、浅川刑事と最後のやりとり】

検査機について様々調べ、その結果を浅川刑事に伝えようと連絡をした。すると、意外にも「もう必要ない。」と言われた。声のトーンからやる気や以前あった焦りのようなもの全く失われたように感じた(私の推測では、この時にはすでに上(うえ)にはシロで上げていたのではないかと思う)。そして私がこれまでの一連の出来事に対し(警察への怒りも含め)、困惑し苦しんでいる胸の内を伝えた。その時、浅川刑事は声を振り絞るようにして「藤井さんが、たかだか煙の件でこのようになっていることに対して、不安に思うのはよくわかる。が、警察としてはシロのものは絶対にクロにはしない。それだけは信じて欲しい。」と言った。

これが浅川刑事との最後のやりとりとなった。後日、望月氏にこのことを告げると、それは浅川の本音だろうと言った。わけのわからない指示により翻弄されたのは、青葉警察でもあったのではないか。特に、一度シロと上げたものを、再度調べろと指示が下りて、それを担当させられた浅川刑事の心境は察するに余りある。現場に何も異常がなくシロと上げたのに、もう一度「行け」というのは、「今度は確実にクロにしろ」という意味にもとれる。

当時の刑事たちは私が想像する以上のプレッシャーを感じていたのかもしれない。

翌月提出された「原告準備書面(1)」にて斎藤実の関与を知る

それから半月あまりして、平成30年(2018年)2月16日付けの原告準備書面(1)が自宅に届いた。それを見て驚愕した。そこには前年の2回の刑事の訪問は、神奈川県警本部長・斎藤実の指示であったことが書かれていた。その恐怖がどれほどのものかわかろうか。

慌てて藤崎浩太郎議員に裁判資料を届けた。ところが、それまで親身に相談に乗ってくれた姿勢が一変して「誰も傷ついたわけじゃないし、別にいいじゃないですか」というような主旨の発言をされた。本丸の時に政治家は闘うのかと思ったら、本丸の時に逃げるのだと知り愕然とした。捨てられた気分だった。10年に及ぶ氏との付き合いはここで終わった。

それまでも作田学、岡本光樹、日本禁煙学会、オリンピック、小池百合子、厚労省などわけのわからない包囲網に覆われていた。が、斎藤実が出てきたことで、完全の洞窟に閉じ込められ社会から隔離されてしまったような気持ちになった。このような話を信じる人は周りの数名の友人以外誰もおらず、その友人らも逃げずにそこに佇むだけで、私たちは完全に無力だった。提訴されてから長い間、笑うこともなくひたすらじーっと身をかたくして耐えていた。そして同年9月、ジャーナリスト黒薮哲哉氏と出会い、反撃に転じていくのである。

望月刑事の証言

裁判の記録によると、青葉署の刑事は当初A家からのたびたびの相談に対して「動いていなかった」ことがわかる。しかしながら、神奈川県警本部長からの指示により、動かざるを得なくなったのだ。

令和元年(2019年)の2月、裁判記録をもって、私は望月刑事と話をした。この時、望月氏は正直に「警察とは縦社会で、上からの指示があったので動かざるを得なかった」ことを認めた。そして同年8月、再度望月氏と話をした。下記はその時の記録である。

この時に望月氏に聞きたかったのは、「たとえ斎藤実が動いたとしても、正式に何か表玄関から、被害届や告訴状のようなものが出されていなかったのか」ということ(答えは当然NO)。というのも私たち一般市民が警察に動いてもらう場合には、正式な手続きを踏む道しか用意されていないのだ。私たち一般市民には電話一本で警察に動いてもらう方法など存在しない。それが本件では斎藤実の指示一本で、猛スピードで警察が動いたのだ。

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