私はしんぶん赤旗が日本禁煙学会を記事として取り上げていることに対し、2度、抗議の文を送っている。1度目は2021年2月11日。2度目は2021年8月8日である。1回目はその日のうちに、「メールありがとうございます。 担当部に転送しました。 赤旗編集局読者室」と返事が来た。
この杓子定規な返事に対し、2度目の8月8日にはこう書いたのである。「受付の方へ このメールを受けられた方にお願いします。下記を担当の方にお伝えの上、その方から必ず私に直接お返事いただけますようお計らい下さい。何卒よろしくお願いいたします。」
わざわざこのように書いたのは、間(あいだ)に人を挟むことで、自分が送ったメールが本当に編集部に届いているか否かわからないからである。
そして2日後の8月10日、しんぶん赤旗から返事が来た。「メールありがとうございます。 担当部に転送しました。 赤旗編集局読者室」 これを見て、こんな事では永遠にらちがあかないと思った。そして直接、共産党の中央委員会に電話した。
受付に出た女性にこう言った。「今から言うことをとにかく、口を挟まずに聞いて欲しい。」話をし出すと女性の声はどんどん不安気になっていった。全てを話終え、私は受付の女性に言った。「この話がただならぬ事がわかるでしょう。貴方からこの話を編集部の担当責任の人に伝え、これ以上たらい回しにならぬよう、担当の人から直接私のほうに折り返し連絡を入れるよう伝えて欲しい。期限は3日以内」
女性は「承知しました。」と答えた。
すると、数時間後すぐに電話がかかってきた。しんぶん赤旗の担当者で、これまで日本禁煙学会の記事を書いてきた人である。この方は、私が2度目もメールを送っていたにもかかわらず、お粗末なことに、私が横浜副流煙裁判の当事者の妻であることがわかっていなかった。彼は作田氏、荻野寿美子氏、宮崎恭一氏、松崎道幸氏も皆知っていると言った。岡本光樹氏については知らないようなので、藤井家のゴミを漁るよう原告A家族に指示したことを本人も認めていると告げた。
記者は私に対し、「貴方(藤井敦子)は作田氏の名前をえらく言うが、日本禁煙学会の記事を書く事は『あり得ない』ことではない。たとえ、作田氏が告発を受けていたとしても、日本禁煙学会が否定されたり捜査を受けているわけではない。作田氏個人のことと、組織として取り組んでいることは別。」と言った。(作田学氏に対する捜査については下記を参照)
藤井:日本禁煙学会が裁判で否定されたのを知らないのですか。裁判で、受動喫煙症の診断書と診断基準が客観的根拠がないと断罪されたのですよ?
記者:知りません。
驚いた。2度も資料を送っているにもかかわらず、判決文すら読んでいなかったのだ。そのことに私は苦言を呈した。すると彼は次のように言った。
記者:要は、あなたは日本禁煙学会という組織に対して否定しているということでしょ?
ここで私は、記者が私のことを「何か意見が言いたくて連絡してきた人」だと勘違いしていると気づいた。
藤井:私を誰か知っていますか。
記者:いえいえ、知らないです。
藤井:私は作田達に訴えられた張本人の妻です。
そこで記者は固まった。そして、そこまで続いていた「でも」「だけど」という言葉を封印した。
「日本禁煙学会を守る一心」であった態度を引っ込めてくれたおかげで、私はやっと話をすることが出来た。そして一通りの話をし、「自らの目で資料を読んでみて下さい。まずはそこからです。10日後の金曜日までに再度連絡をください」と告げた。そして、事件を理解した上でもまだ日本禁煙学会の記事を書き続けるということであれば、当然のことながら糾弾すると伝えた。記者もやっと話に納得が出来たようであった。本来当事者であろうがあるまいが、事実は事実なのだが、そこがこのようなイデオロギーを掲げる人達、団体には伝わりにくいのだ。主義主張や持論が邪魔をして、事実に向き合うことが出来ないのだ。
いずれにせよ、2月から始めた交渉は、やっとスタートラインに立てたのである。
すると、翌8月11日、思わぬスピードで記者から電話がかかってきた。昨日の今日だ。判決や資料を読んで納得出来たのだな、とすぐに思った。電話の声のトーンも昨日とは異なり明るかった(前日はいぶかしげだった)。
「来週金曜日を待たずとも返事をしたいと思い、禁煙学会の理事にも私の考えは伝えてある。何の落ち度もない一般の市民を、力を持った人が窮地に陥れるのは許されないと思うので、何らかの対応なしには、私も禁煙学会を記事に出すわけにはいかないので、そういう風にしたい」と告げられた。
「判決等を読み許されないことだと思ったのですぐに禁煙学会にも電話して、何らかの措置が必要だし、それをしないと禁煙学会も先へ進めないんじゃないかと」
また禁煙学会には告げていない事として次の様にも言った。
「受動喫煙症が国際基準に入っていないということがあるが、それに照らしても、禁煙学会の中で、それが何故そんな事になったのかという根本的な反省・議論をして対応策をちゃんととらないと、謝罪も含めて、禁煙学会自身も運動は進めていけない気がする。禁煙学会にあーしろこーしろとは言えないが。今後禁煙学会に何らかの活動があったとしても、納得できるちゃんとした対応策がなければ記事には出さない。作田氏の謝罪が一番だと思う」
私はあっけなく終わった交渉に胸を撫でおろした。もっとこじれるだろうと臨戦態勢をとっていたのだ。
電話を切る前に、最後、私は「自分達が記事で扱った団体が『誤りだった』と記事にすれば、国民の信頼は上がる」と伝えた。
国民にこれまで誤った情報を与えていたとの反省が真にあれば、必ずそうするはずである。恐らくしないであろうが。
いずれにせよ、事実の力は強い。